かえで
こんにちは、不育症のかえでです。
目次
手術当日の流れ
心のどこかでもしかしたら心拍が確認できるんじゃないかなどと微かに期待はしていました。 しかし結果は残念なことに・・・ 手術を受けるための荷物は準備して、朝10時頃病院を受診しました。 手術に必要な持ち物は・手術費用(保険適用で2万円弱)
・替えのショーツ
・生理用ナプキン(術後生理のような感じで出血します)
以上でした。
診察
診察室に呼ばれ内診にて赤ちゃんの確認。 やはり赤ちゃんの心拍は確認できず、子宮内に出血あり。 掻爬手術が決定しそのままラミナリア挿入となりました。ラミナリアとは・・・?
子宮口を広げるための器具です。 私は挿入した後すごい鈍痛がきて、内診台から降りて立ち上がる際、貧血でふらつき 車いすで部屋まで運ばれていきました。かえで
痛みには個人差がありますので、あくまでも私の場合は・・・です。
手術までの待機時間
ラミナリア挿入後、処置室のすぐ隣の回復室で手術着に着替え、ベッドで横になりました。 点滴のラインを先に確保し、手術はお昼頃の予定。 それまではゆっくりしていていいよ とのことでしたが・・・ ラミナリアのおかげで痛くてゆっくりできない。 初めての全身麻酔 初めての手術 そして手術が終わったら 赤ちゃんもいなくなってしまう いろんなことが怖くて仕方ありませんでした。 主人も心配して付き添ってくれていたのですが、いてくれるだけで心強かったです。 点滴を打っていたので途中でトイレに行った気がします。 痛みに慣れてきた頃に少しだけうとうとしていたんじゃないかなぁ・・・ だって夜は緊張して全然寝られなかったから。手術開始
とうとう看護師さんに呼ばれ、隣の処置室に歩いて移動しました。 台の上に横になり、手足を固定され、肩のあたりに注射を打たれました。 麻酔を点滴から入れていき、看護師さんが数を数えているうちにすぐ意識がなくなりました。手術終了
意識が戻ったのは手術が終わる頃。 手術後半なんとなく「うーん。うーん。」と体をひねっていたような記憶があります。 その後看護師さんに手術終わりましたよ! って声をかけられて目覚めた感じです。 手術中の痛みなどはほとんど感じることはありませんでした。 手術台からストレッチャーに移されて部屋に運ばれる際、手術の不安から解放された安心感と赤ちゃんがおなかの中からいなくなってしまった喪失感に思わずその場で泣き出してしまいました。 泣きながら部屋に運ばれてきた私に主人はびっくりしていました。 看護師さんが主人に 「ちょっと混乱されているから、そばについていてあげてね。」 と声をかけておられた気がします。 後から主人に聞いたら手術時間は10分~15分ぐらいだったそうです。手術後
麻酔からまだ完全に覚めていないため、病室でしばらく横になっているように指示を受けました。 夜あまり寝られなかったことと麻酔が覚めていないこともあり、部屋に戻ってからはしばらく眠っていました。 点滴が外れていなかったので、またトイレに行きたくなり看護師さんを呼ぶと 立ってフラフラしないか?歩けそうか? と確認してくださりトイレのOKが出ました。 術後3時間ぐらい回復室で横になって帰る前に先生につめていたガーゼをとって内診してもらい特に問題なく着替えて帰宅となりました。 前日の夜以降絶食だったのでお腹はぺこぺこでした・・・後日の診察と経過
2日後(休日だったため通常は翌日らしいです)と2週間後に子宮の中に残留物がないかなどの診察をして、問題はなく体は順調に回復しました。 腹痛は術後家に帰ってからかなり痛くなってきたので、もらっていた痛み止めを飲みました。 まだ妊娠初期だったけど少し大きくなりかけていた子宮が元の大きさに戻る収縮の痛みなのかなぁと考えていました。 出血はいつもの生理より少し量が多い感じで1週間ちょっと続きました。 お風呂は2週間後の内診で問題がないことが確認できてからOKとなりました。 それまではシャワーのみOKでした。 妊娠は次の生理が来てからから可能ですと先生から説明を受けました。全てが終わって感じたこと
初めての妊娠で頭の中はもう赤ちゃんが産まれてからの楽しいことしか考えていませんでした。 それが急に流産と診断され、先生からはおそらく「枯死卵」でしょうと説明を受けましたが 何がいけなかったんだろう・・・ 仕事もフルタイムでしていて(事務職で座っていることが多いですが)、仕事帰りにスーパで買い物をして重い荷物を持ってしまっていたり、葉酸サプリは飲んだり飲まなかったり・・・ 自分のしてきたいろんなことが赤ちゃんを死へ追いやったのではと自分を責める毎日でした。 産んであげられたら、これからきっと楽しいことがたくさん待っていたのに・・・ そんなことばかり考えていました。 手術の際、先生も助産師さんも 「お母さんは悪くないよ。この時期の流産は最初から決まっていてどうすることもできないんだよ。」 と教えてくださいましたが なかなか受け止めることができませんでした。 でも手術に立ち会ってくださった助産師のおばちゃんがものすごくいい人で 「今は辛いと思うけど、大丈夫。待ってるから、またおいで。」 と言ってくださり、もしまた赤ちゃんを授かることができたらやっぱりこの病院で産みたいと思いました。 しかし、流産の傷はなかなか癒えなかったです。 その後気持ちが前向きになり妊活を再開するまで2年かかりました。かえで
最後まで読んでいただきありがとうございました。